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共和バンド誕生経緯



新共和主義研究会および共和バンドの発足(2019年2月7日)


1.2012年民主党敗北と政権崩壊

  安倍政権発足(民主党時代の教訓・学習、成果享受、官僚の復権・内務省化(警察権力)

  政治の広報企業化、メディア支配、高度な大衆操作、選挙の戦術的活用

  (アベノミクスvs戦争法、共謀罪、モリカケ、憲法9条・・・韓国軍艦、虚偽統計)

  置き去りにされた層の逆転(日本会議・拉致・嫌亜) 衰退産業の復権

  民主党は左右分離して衰退→野党勢力の消滅(パロディとしての野党連合)


2.賞味期限も消費期限も切れた政治理念

  自民党:冷戦構造の申し子

  社会党・共産党:identity crisis, 市民偽装、反対勢力として保守化・プチ利権確保

  民主党・選挙敗北≒理念敗北、2009年マニフェスト放棄、迷走

  ヨーロッパはポピュリズム・極右の嵐、アメリカはトランプのアメリカ第一主義


3.新しい政治理念を求めて→コミュニタリアニズム研究会発足

  “NEXT”との遭遇(アミタイ・エチオーニ)

  サンデル教授の白熱教室と「正義論」、政治における価値判断

  友愛革命は可能か(公共哲学、民主党への期待)

  コミュニタリアニズム講義:小林正弥教授 

  第一回友愛政治とコミュニタリアニズム研究会 鳩山会館 2018年6月4日

  第八回友愛政治とコミュニタリアニズム研究会 鳩山会館 2018年10月22日


4.コミュニタリアニズム研究の価値と限界

  コミュニタリアニズム研究(概要は添付参照)から浮かびあがる共和主義

  共和思想は古代ギリシア・ローマからの西洋政治思想のメインストリーム

  求められる視点:①アジアの政治理念②現代と未来の課題③日本政治の現実


5.共和政体を求めた幕末・明治維新

  △尊王攘夷 尊王討幕 開国佐幕 公武合体→〇公議公論 公議輿論 


6.未実現の共和主義政体を求めて

  伝統ある共和主義の保守化→各国共和党、トランプ →共和国前進(フ)、

  プログレッシブ(US)

  新しい共和主義の視点→新共和主義研究会をスタート

  事務局として「共和バンド」設立→現実の政治運動体へ?

  バンドとは?:人類最初の集団、P.ドラッカー(オーケストラからバンドへ)、

  熊本バンド(同志社大)

  


今なぜ「共和」なのか?  ―未完の共和主義を求めてー

<19世紀幕府衰退、権威失墜>

1837年には幕府の体制内部から、大阪の(元)与力、陽明学者でもあった大塩平八郎の武装蜂起が勃発


<尊王攘夷運動>

地方有力大名などは幕府より排除されていた→古代の朝廷・天皇への憧憬。その一方で、産業革命を経て西洋勢力のアジア進出→日本近海出没


<全国的知識人の広がり>

全国の地域に古代より存在する富を蓄積した豪商などの富裕層、豪農、地域の知識人、神主などがその受け皿となった。


<阿片戦争:近代アジア最大の事件>

中華思想・朝貢貿易しか認めない清国、イギリスの貿易不均衡

→阿片戦争(1840-42年)→香港割譲、不平等条約→中国最大のトラウマ


<海国図志と坤輿図識>

林則徐→魏源に海国図志執筆依頼→「富国強兵」論 川路聖謨翻訳

坤輿図識(当時の世界地図)は地理学者の箕作省吾が翻訳したが、republick(レピュブリック)の翻訳に悩み、漢学者の大槻磐渓に相談したところ、「共和」を示唆された。孔子が理想社会とした古代「周」においても非道の王が出現し、彼が出奔し王が空位となった政治を、有識有力者が協力して国の統治にあたった時期があり、それを「共和」と称した故事によるものだった。日本発の政治概念・


<未実現の共和国>

二書は当時を代表する幕閣・大名・学者・活動家だけでなく、市井の知識人や豪商・富農など広範な社会階層に読まれ、さらに万延元年(1960年)には福沢諭吉が咸臨丸に乗船してアメリカに渡り、「西洋事情」を1866年に刊行して詳しく西洋の政治システムを伝えた。

幕末激動期には、日本統治システムの改革を主唱した者は、ほとんどが共和主義的な政治理念や統治システムを理解し、身分差別をなくし、公家や大名のみならず下級武士や富農まで包含した広範な国民による下院という議会制度を主張した。横井小楠はさらにそれを一歩進めて、日本が単に「富国強兵」を実現して西洋と対峙するのでなく、日本を平和国家に作り上げ、その大義をもって世界平和に貢献するという「富国有徳」の思想を説いた。しかし、薩摩藩など新しい政治システムの構築より、自分たちが徳川に代わって権力を把握したいと考える藩も多く、それが明治維新そして維新後の日本の政治の流れを作った。天皇を統治の頂点と祭り上げながら実質的に自藩が支配するという薩長藩閥勢力が明治維新後の日本を支配し、「富国強兵」政策はやがて最終的に日本を太平洋戦争へ道いたのである。


<今、求められる共和主義>

日本は戦後焼け野原となった状況から再建を始めたが、朝鮮戦争が膨大な工業製品の需要と輸出をもたらし、冷戦構造がアメリカの巨大な市場へのアクセスを可能にした。多くの問題と社会的痛みを、そうした工業力の発展と高度経済成長が緩和した。明治維新からの国是であった「富国強兵」は、戦後にはやがてジャパン・アズ・ナンバーワンのように「富国成金」「富国傲慢」が日本の特徴と世界から目されるようになった。それは明治維新の時期に横井小楠が提唱した「富国有徳」とはまったく逆の方向だった。しかし、現在は、もはや日本社会と経済に高度成長を持続させる条件はなく、成長さえすれば問題が解決するとの成功体験が、いまや新しい道を見つける努力を阻害している。日本はどこで路線を間違えたのか、我々は再び明治維新期の原点にもどって、新たな進路を探し、広く公議輿論に訴えて新しい社会を求めなければならない。それがいま、共和主義を再考し、新たな政治運動を盛り立てていく理由である。


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